あまり批判的な事を申し上げにくいのですが、私が読譜に力を入れているピアノ講師としてとても苦労している事実ですので、敢えて触れさせていただきます。
私は3人の娘を国公立大へ進学させましたので、生徒さんのご父兄より少し先輩ママさんと言えると思います。
娘達は中学までは地元の公立、高校は進学校へ通い、まわりのお子さん親御さんをたくさん見てきた、そして学童保育の指導員経験者という点でも信用性はあるのではないでしょうか。
公文は「たくさんの問題を解きたくて解きたくてしょうがなくてとにかく枚数を増やして難しい問題にチャレンジしたくてたまらない!」というお子さんにはとても素晴らしい教育だと考えますので、オススメです。
しかし、現実問題、その様な特性を持つお子さんは何%位いらっしゃっるでしょうか。
私の体感では、1%もいないのではないかと思います。
令和のほとんどのお子さんは、学校で習う昭和の教育に合わず、あまり勉強が好きではありません。
なので、学校教育は内容を大幅に変更し、生徒が楽しい!面白い!と食いつく教育を提供するべきだと考えます。
なのに、家でも嫌な勉強を嫌々毎日10枚、科目数によっては毎日30枚やらなければいけない生活…はたして子供達に喜びに満ちた毎日と言えるでしょうか?
私がこれまで出会った公文学習者で、大好きと言ったのはたった1人、開成中学受験をした男の子です。
ピアノもとても綺麗な演奏で、コンクールでは全国大会に出場しました。
その他ほとんどの生徒さんが「公文が嫌い→勉強が嫌い→考えるのが嫌い→簡単に答えを出したい」オマケに字がものすごく汚くて読めないという特性を持つ子ばかりです。
加えて昨日気付いてしまった特性に「譜読みが出来ない」が加わりました。
なぜかと言うと、楽譜を一切見ないからです。
なぜ楽譜を見ないのかと言うと、考えるというプロセスが欠如しているからです。
音は読めるのに楽譜を見ようとしません。
それでも弾けるようになってくれればと、自分のポリシーを捨てて、お手本を覚えやすいように弾いて覚え弾きさせています。
夫は塾講師経験者ですので、弊害しかないと言っていました。
公文のお月謝はそれ程お手頃ではありませんし、もったいないと思います。
もし、自分で楽譜が読めて生涯ピアノや音楽を楽しんで欲しいとお思いでしたら、公文や学習を強制する習慣をお控えいただきたいと切に願います。
耳が痛いお話になり、大変申し訳ありません。